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裁判所の門をくぐる者は一切の希望を捨てよ!
元エリート裁判官 衝撃の告発

講談社現代新書 瀬木比呂志著

以下、一部紹介します。

裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべるだろうか?
ごく普通の一般庶民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、しゃくし定規で融通は利かないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によっておこなわれる裁判についても、同様に、市民感覚とずれることはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?

しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判組織の上層部に昇ってイニイシアティブを発揮する可能性も皆無に等しい。

あなたが理不尽な紛争に巻き込まれ、やむなく裁判所に訴えて正義を実現してもらおうと考えたとしよう。裁判所に行くと、何が始まるだろうか?
おそらく、ある程度審理が進んだところで、あなたは、裁判官から、強く、被告との「和解」を勧められるであろう。

和解に応じないと不利な判決を受けるかもしれないとか、裁判に勝っても相手から金銭を取り立てることは難しく、したがって勝訴判決をもらっても意味はないとかいった説明、説得を、相手方もいない密室で、延々と受けるだろう。

また、裁判官が相手方にどんな説明をしているか、相手方が裁判官にどんなことを言っているのか、もしかしたらあなたのいない場所であなたを中傷しているかもしれないのだが、それはあなたにはわからない。

あなたは、不安になる。そして、「私は裁判所に理非の決着をつけてもらいに来たのに、なぜこんな「和解」の説得を何度も何度もされなければならないのか?まるで判決を求めるのが悪いことであるかのように言われるなんて心外だ・・・」という素朴な疑問が、あなたの心に湧き上がる。

2000年度に実施された調査によれば、民事裁判を利用した人々が訴訟制度に対して満足していると答えた割合は、わずかに18.6%にすぎず、それが利用しやすいと答えた割合も、わずかに22.4%に過ぎないというアンケート結果が出ている。

日本では、以前から、訴訟を経験した人のほうがそうでない人よりも司法に対する評価がかなり低くなるといわれてきたが、調査によって、それが事実であることが明らかにされたのである。

また、あなたが不幸にも痴漢冤罪に巻き込まれたとしよう。いったん逮捕されたが最後、あなたは、弁護士との面会の時間も回数も限られたまま、延々と身柄を拘束されることになるだろう。

突然あなたを襲った恐怖の運命に、あなたは、狼狽し、絶望し、ただただ牢獄から出してもらいたいばかりに、時間を選ばない厳しい取り調べから逃れたいばかりに、また、後から裁判で真実を訴えれば裁判官もきっとわかってくれるはずだと考えて、「はい、やりました」といってしまうかもしれない。

しかし、虚偽の自白をしてしまった場合にはもちろん、あなたが否認を貫いて公判に臨めるほどに強い人間であったとしても、あなたが無罪判決を勝ち得る可能性は、きわめて低い。刑事系裁判官の判断の秤は、最初から検察官のほうに大きく傾いていることが多いからである。

大変ショッキングな真実をここで述べると、あなたは、つまり一般市民である当事者は、多くの裁判官にとって、訴訟記録やみずからの訴訟手控えの片隅に記されているただの「記号」に過ぎない。あなたの喜びや悲しみはもちろん、あなたにとって切実なものであるあなたの運命も、本当を言えば、彼らにとっては、どうでもいいことなのである。

日本の裁判所、裁判官の関心は、端的に言えば、「事件処理」ということに尽きている。とにかく、早く、そつなく、「事件」を「処理」しさえすればそれでいのだ。

また、権力や政治家や大企業も、これをよしとしている。庶民のどうでもいいような事件、紛争などともかく早く終わらせることにこしたことはなく、冤罪事件などいくらかあってもべつにどうということはなく、それよりも、全体としての秩序維持、社会防衛のほうが大切であり、また、司法が「大きな正義」などに深い関心を示すことは望ましくない、あるいは、そうなったら大変都合が悪い。

大国の権力や政治家や大企業は、おおむねそのように考えているに違いない。そして、日本の裁判所は、そういう意味で、つまり、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」という意味では、非常に、「模範的」な裁判所なのである。
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